普通、というバイアス
世の中はGW
本日は子供の日ですね^^
菖蒲湯(しょうぶゆ)用の菖蒲を買いに行きました。
最近、
バイアスがかかっているという状態
「バイアス」という言葉自体に意識がいっています。
バイアスとは
1.
織り目に対して斜めに切ったきれ。ななめぎれ。
「―テープ」
2.
かたより。
「―がかかる」
▷ 「バイヤス」とも言う。 bias
先入観にとらわれている、偏見が先行している、色眼鏡で見る、というような意味合いで「バイアスがかかっている」と表現される場合が多々ある、とのこと
こうであろう、や こうでなくてはならない、という思いが
いろいろなものを苦しめるのだと思います。
特に『普通でいなくてはならない』との思い
普通ってなんでしょうね。
普通ってあるんですかね。
自分で作った普通像に苦しめられると、しんどいです。
しかし、いわゆる普通
世間でいう「標準像」は知ってうまく使うとメリットはあると思います。
設計を通じてアウトプットしてゆく仕事は
ある程度の普通像の理解〜そこには予算感やスケジュール感も相まって
その上での提案していく、というプロセスを踏む方がいろいろな方への
共感が高まるように感じています。
そう、大先生が呼ばれて、なんでもOKというシチュエーションの方が
少ないです。でもここも理解があって成立している。
何とも戦わず、共感と理解を促す。
そのためにも、自分のメガネはいつもクリアでありたいです^^
光環境設計室
菊原 啓子
0コメント